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祝福二世と原罪

ある祝福二世が、

「ねたみや嫉妬があるのですが」

と言う悩みを告白していました。


私は、はっきり言います。

もし、以下のような罪があるなら、原罪はあります。

高ぶり、ねたみ、しっと、むさぼり、うらみ、悪意、

苦き心、肉的気質、利己的野心など。


これらは聖化されれば、取り除かれるものだからです。


「もし、罪がないと言うなら、私たちは自分をあざむいており、

真理は私たちのうちにありません。

もし、私たちが自分の罪を言いあらわすなら、

神は真実で正しい方ですから、その罪をゆるし、

すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

もし、罪を犯してはいないと言うなら、

私たちは神を偽り者とするのです。

神のことばは私たちのうちにありません」

        第1 ヨハネ 1:9,10
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霊感商法 2

私が、占いは罪だと教えられたのは、統一教会の中です。

占いはいけないと言う人がいたので、私もそうだと思っていました。

しかし、四柱推命に熱中している幹部のことを聞き、

「なんで?」と言う素朴な疑問を持っていました。

祝福の相手を決めるのに疲れた先生が、

「久保木、お前がやってみろ」

と言われ、姓名判断で決めていったことを聞きました。

1800双の時だったのではないかと思います。

そんなことに、おかしいのではないか、と感じていましたが、

転機がありました。

ある時、私のいた販売店に他の店から一人の女の人が来ました。

「顧客管理カードを見せてください」と言われました。

「あなたは○○月生まれですね。それも後半の方。血液型は○型」

私は、それまで占いなど信じていなかったので、

驚きのあまり声になりませんでした。

占いで手っ取り早く相手の情報がわかり、

売り上げが上がるならと、さまざまな占いへと傾いていきました。

すぐに、私に占いを勧めてくれた人と同じくらいのレベルになりました。

会った瞬間に9割がた血液型がわかるのです。

少し話をすれば、確定的になります。

「あなたは0型ですね」

キッパリ言うと、いっぺんで自分を信じてくれます。

しかし、それによって今日の運勢や将来のことなどがわかるわけではありません。

多くの占いは過去のことや現代のことは当てることが出来たりしますが、

先のことはわかりません。

過去のことは、本人がいちばんよく知っているので、

そのことを当てられても、何の意味もありません。

過去のことがわかったから、先もわかるようにいうのはダマシです。

ある本によると、

占い師は一つも当てる必要がないと、とんでもないことが書いてありました。

それで、毎月数百万の儲けがあると。

そして、そのテクニックが書かれていました。

統一教会の霊感商法も、一部は本当ですが、

ほとんど詐欺師のテクニックと似たようなものです。

霊感商法 1

家の近くで、かつて同じ高麗人参の販売店にいた人に

ばったり出会いました。

こぎれいな格好をしているので、

「何を売っているの」

と聞きました。

「印鑑」

統一教会が印鑑を売っていて、それが霊感商法とよばれ

騒がれていることをニュースで聞いていましたが、

事実だと初めて知りました。


統一教会のなかには、明らかにおかしい人と、

本当に素晴らしい人のふたとおりの人がいます。

その人は後者のほうだったので、

つながりを持ちたい、と思って、

印鑑を買う気になりました。


「姓名判断をしたい」

と言ったので、

「占いは信じていないので」

と、姓名判断はキッパリと断りました。


事実、占いとは縁をすでに切っていました。

昔は、彼女よりもずっと詳しかったことがあります。


ある牧師に、

「占いの霊はサタンだ」

と言われ、受授作用を断つことにしました。

その苦しみは今でも忘れません。

一晩中、身を八つ裂きにされる思いを

何度も繰り返し体験しました。


占いの霊が取り去られると、

自分の持っていた占いに関する能力が

一瞬にして失われたのです。

すごく不思議な体験でした。


申命記 18:10-14

聖書は多くの箇所で占いを禁止しています。



マインドコントロール?

統一教会を辞めた人は、マインドコントロールされていたとよく言います。
ほんとうにそうだったのかと、私は疑問に思います。
私は、けっこう冷静に自分の意思で動いていたように思います。

私は霊的なものがあったので、
そこから抜け出せなかったのではなかったかと思っています。
 
それに気付いた体験をいくつか話したいと思います。
私が21修で、名古屋の守山に行くことになった時、
「名古屋駅に着いたら食口が待っているから」
と、言って送り出されました。

私は名古屋というところを全く知らなかったので、
改札を出たらすぐにわかるような小さな駅をイメージしていたのです。
名古屋駅に到着して、ビックリしました。
今まで見たこともない大きな駅で、人も多いので。

しかしながら、遠くから食口が歩いて来ているのが見えました。
(もちろん、初めて会う人です)
向こうも私がわかって、まっすぐに歩いてきているのです。

これは雰囲気でわかるのでしょうか。
私は違うと思います。
私が、たびたび経験したのは、
この角を曲がると食口の○○さんに出会うだろうという予感があるのです。
すると、やっぱり会うのです。
100%とは言えませんが、確率論のようなものではとても説明がつきません。

私のようなものでも、この程度のことがわかるのなら、
先生ならもっとわかると考えるのは当然です。

霊的なものの見方をしようとして、
だんだん自由がなくなっていくことにそのときは気付きませんでした。
いつしか、がんじがらめになっていました。
その体験は、またの機会に。

救い

ある食口の告白

「祝福を受けたけど、

私は何も変わらなかった。

救われたという思いはない」


すごく正直な方だと思います。

私が統一教会にいた時なら

そんなことは口に出して言えませんでした。

思い浮かんだ時点で打ち消しました。


しかし、ここで気付いてもらいたいのです。

統一原理は、イエス様は霊的な救いを完成したと

言っているではないですか。

なぜ、私に霊的な救いがないのかと。


聖書は、イエス・キリストが私の罪の身代わりに

十字架について死んでくださったと信じ受け入れるものは

すべての罪がゆるされると言っています。

事実、信じきった時に、ゆるされたという実感が起きます。


私が統一教会の事業部にいた頃は、いつ税務署が踏み込んでくるか、

警察に逮捕されるかわからない時でした。

実際に販売店の何人かは警察に捕まりました。


統一教会との関連があるものは、すべて別の場所に隠されていました。

そんな中で、唯一許されていたのが聖書を持つことでした。

私は、その聖書の中から驚くべき発見を次々としました。


イエス・キリストを信じるものは救われていると言っています。

へりくだって、

その救いとは何かをまず知る必要がないでしょうか。
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